阿部定事件の真相と愛憎の動機|石田吉蔵との壮絶な結末と出所後の謎

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服役中の定は模範囚として過ごし、皇紀2600年の恩赦を受けて1940年(昭和15年)刑期を繰り上げて仮出所しました。出所後は偽名を使って生活を始めましたが、戦後になると彼女の知名度を利用しようとする興行関係者やマスコミが放っておきませんでした。

戦後の混乱期、定は自らの半生を語る舞台に出演したり、銀座のバーや居酒屋「若竹」の看板女将として働いたりしました。店には定の穏やかな接客と物静かな人柄に惹かれた文化人や常連客が多く訪れ、かつての猟奇殺人犯というイメージとはかけ離れた上品な姿が記録に残されています。

しかし、昭和40年代に入ると「若竹」を閉店し、定は再び世間の視線から隠れるように姿を消しました。1970年(昭和45年)頃を境に消息が途絶え、晩年は寺院に身を寄せていたとも、高齢者施設で静かに生涯を閉じたとも伝えられていますが、明確な死亡届や墓所の公式記録は公表されていません。現在に至るまで、その最期の瞬間は静寂のヴェールに包まれたままとなっています。

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