映画館のハッテン場化はなぜ起きた?歴史と摘発・閉館の現在
かつてハッテン場として名指しされることが多かったのは、東京の上野、浅草、新宿、あるいは大阪の新世界といった巨大ターミナル駅周辺や歓楽街に位置する成人映画館でした。特に「上野の成人映画館」や名画座は、地方からの交通の便が良いことも手伝い、昭和から平成にかけて独自のアンダーグラウンドな生態系を形成していました。
当時の状況を知る元劇場スタッフの手記や関係者の証言によると、平日の昼間から場内後方や2階席に通称「立ち見」と呼ばれる人々が集まり、スクリーンに背を向けて互いを探り合う光景が日常化していた時期もありました。ピンク映画の上映館でありながら、観客の多くがスクリーンを見ていないという異様な光景は、カルチャー誌やルポルタージュでも度々取り上げられてきました。
劇場側にとっても、この現象は極めて複雑なジレンマを抱えるものでした。テレビの普及やビデオ・DVDの台頭によって映画館の観客数が激減する中、皮肉にもハッテン場としての利用者による入場料収入が劇場の経営を辛うじて支えていた時期が存在したからです。見て見ぬ振りを続ける劇場と、一般客からの苦情に悩まされる現場との間で、長年にわたり暗黙の綱引きが続けられていました。