池田大作の証人喚問はなぜ消えたのか?政界を揺るがした攻防の真相

池田大作の証人喚問はなぜ消えたのか?政界を揺るがした攻防の真相について見逃せない 事実を分かりやすく解説いたします。

池田大作氏に対する国会喚問の要求が頂点に達したのは、1995年秋の第134回臨時国会でした。当時、村山富市首相を首班とする自社さ連立政権の主軸であった自民党は、小沢一郎氏率いる最大野党・新進党と激しく対立していました。同年夏の参議院選挙で、創価学会の組織票をバックにした新進党が比例区で自民党を上回る大躍進を遂げたことが、自民党に強い危機感を抱かせたのです。

自民党は、同年に発生した地下鉄サリン事件を受けた宗教法人法改正の審議をテコに、創価学会の実質的最高指導者である池田大作名誉会長の証人喚問を執拗に要求しました。「巨大宗教組織のカリスマ指導者を国会に引っ張り出し、政治介入の実態を白日の下に晒す」という名目でしたが、実態は新進党の最大の生命線である創価学会票を切り崩すための高度な政争でした。

しかし、この喚問要求は最終局面で劇的な見送りを迎えます。その最大の理由は、新進党側の猛烈な反発と「刺し違え」の報復カードでした。新進党側は、もし池田氏の喚問を強行するならば、自民党幹部の金脈問題や自民党を支援する伝統宗教団体の幹部招致を要求すると通告。国会が完全に麻痺し、予算審議や法案成立そのものが破綻する泥沼の全面戦争を恐れた両党執行部が、水面下のパイプで取引を開始したのです。

結果として、法的拘束力と偽証罪が伴う「証人喚問」を取り下げ、宣誓や罰則規定のない創価学会・秋谷栄之助会長(当時)の「参考人招致」で手を打つという政治的妥協が成立しました。池田氏個人の国会喚問は土壇場で回避され、法案は成立へと向かいました。

関連記事