出雲大社と天皇の知られざる関係|不参拝の真相と国譲りの因縁
出雲と皇室の距離感を正しく理解するためには、『古事記』および『日本書紀』に描かれた国譲り神話と皇室の歴史を避けて通ることはできません。ここには、高天原の神々(天津神)と、地上を切り拓いた神々(国津神)のあいだで交わされた重大な契約が記されています。
神話における大国主大神と天照大御神の関係は、単なる勝者と敗者ではありません。大国主大神は、地上界である葦原中国(あしはらのなかつくに)を豊かに開拓した主神でした。そこへ天照大御神が「我が御子が治めるべき国である」として使者を送り、激しい交渉の末に平和的な統治権の委譲、すなわち国譲りが成立します。
このとき結ばれた盟約こそが、日本の国家統治における基本思想となった「顕幽分担(けんゆうぶんたん)」です。大国主大神は、国土の統治権を天孫に譲る条件として、次のような要求を出しました。
「目に見える現実世界の政治(顕事)は、天照大御神の御子孫である天皇が統御してください。その代わり、目に見えない神々の世界や祭祀、人々の霊魂や運命の縁結び(幽事)は私が司りましょう。そして、私の住まいとして皇孫の宮殿と同じように壮大で堅固な宮柱を持つ社殿を造営してください」
こうして創建されたのが、現在の出雲大社の前身である「天日隅宮(あめのひすみのみや)」です。つまり、天津神と国津神の因縁とは敵対関係ではなく、現実社会の政治と精神世界の祭祀を分担し、互いを侵さないという不可侵の契約でした。天皇が国家統治の頂点に立ちながらも、出雲の神域に対しては最大の敬意を払い、直接的な支配や介入を慎重に避けてきた歴史的背景がここにあります。