大津事件の真相と闇|ロシア皇太子襲撃の動機と司法の独立の真実

大津事件の真相と闇|ロシア皇太子襲撃の動機と司法の独立の真実を徹底追究! 読者が気になる トピックの裏側を分かりやすく展開します。

大津事件は「気骨ある裁判官が政府の独裁に立ち向かった美談」として語られるケースが目立ちますが、歴史資料を精査すると現代の司法観からは見過ごせない重大な盲点や意外な後日談が存在します。

1. 児島惟謙自身の行為も「司法内部の干渉」だったという事実

児島惟謙は確かに政府(行政権)からの圧力から裁判官を守りました。しかし、児島自身は大津事件を担当する裁判長(公判を担当した判事)ではなく、あくまで管理部門のトップである大審院長でした。公判を担当する担当判事たちに対し、児島が「大逆罪は使えない、無期徒刑にせよ」と説得して回った行為は、現代の憲法感覚に照らせば「司法内部における裁判官の独立への介入」に該当するという批判的見解が法学界では有力です。

2. 犯人・津田三蔵の呆気ない最期

無期徒刑の判決を受けた津田三蔵は、北海道の釧路集治監(刑務所)へと送られ服役しました。しかし、判決からわずか4カ月後の1891年9月29日、急性肺炎(または栄養失調・過酷な環境による衰弱)により37歳で獄死しました。あまりに早い急死であったため、当時は「政府による毒殺ではないか」という陰謀論が囁かれましたが、公的な医療記録等からは過酷な獄中環境と精神的衰弱が主因とされています。

3. 人力車夫たちの数奇な運命と転落

津田を取り押さえた2人の車夫、向畑治三郎と北ガ市市太郎は、ロシア皇帝から多額の一時金と終身年金(毎年1,000円、当時の巡査年俸の十数倍)を授与され、日本政府からも勲等と年金が与えられて一躍国民的英雄となりました。しかし、その後の日露戦争期には一転して「ロシアから金をもらっているスパイ」と世間から白眼視され、財産を浪費して没落するなど、社会の過剰な熱狂と排外主義の犠牲者となる過酷な後半生を送りました。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest