デヴィ夫人の若い頃が絶世の美女!東洋の真珠と波乱万丈な経歴の真相
デヴィ夫人の本名は根本七保子(ねもと なおこ)。1940年(昭和15年)2月6日、東京府東京市麻布区霞町(現在の港区西麻布)の大工の家庭に生まれました。幼少期は第二次世界大戦の空襲を経験し、戦後の混乱期には父の病気も重なって、食べるものにも事欠く壮絶な極貧生活を余儀なくされます。
「弟の学費を稼ぎ、母を楽にさせたい」という一心で、中学校を卒業後は千代田生命保険に勤務しながら、夜は東京都立三田高校の定時制へ通うという過密な生活を送っていました。芸能界や表現への憧れも強く、東宝のニューフェイス試験を受けたり、若い頃には松竹映画『狂った果実』などにエキストラとして映画出演した経歴も持っています。
その後、語学や立ち振る舞いを学ぶため、当時の政財界人や外国人VIPが集まる赤坂の最高級クラブ「コパカバーナ」で働き始めます。自著『選ばれる女におなりなさい』などの手記でも明かされている通り、彼女は単に接客をするだけでなく、外国人客と対等に会話するために英語の辞書を丸暗記し、国際情勢や文学を猛勉強しました。この徹底した自己投資が、のちの運命を大きく変えることになります。