敵に塩を送るの本当の意味と由来|謙信の美談に隠された驚きの史実と真相
この出来事の引き金を引いたのは、駿河の今川氏真と相模の北条氏康でした。長年結ばれていた「甲相駿三国同盟」を武田信玄が破棄し、駿河への侵略を開始したことで事態は一変します。怒りに燃える今川氏真は、内陸部で自給自足ができない甲斐・信濃を兵糧攻めにするため、太平洋沿岸からの塩の供給を全面遮断する「塩留め(しおどめ)」を決行。これに同盟関係にあった北条氏康も同調しました。
人間が生きていく上で不可欠な塩の輸入ルートを断たれた武田領内では、価格が高騰し、領民の生活と軍の維持が深刻な危機に瀕しました。この絶体絶命の窮地において、日本海に面した越後を治める上杉謙信に注目が集まります。謙信にとって信玄は、川中島の戦いで5度にわたり死闘を繰り広げた宿怨の相手でした。今川や北条に同調して日本海側の塩も止めれば、武田家を戦わずして滅亡に追い込むことすら可能な局面だったのです。
しかし、謙信は塩留めへの同調を断固として拒否しました。当時の書状や記録を読み解くと、そこには単なる武士の情けを超えた、3つの戦略的リアリズムが存在していました。
第1に、越後経済の死活問題です。日本海の塩田で採れた塩を内陸へ輸出することは、越後の商人たちにとって莫大な利益を生む基幹産業でした。これを止めることは、自領の経済にも大きな打撃を与える自家中毒を意味していました。
第2に、今川・北条への警戒心と勢力均衡です。武田が一方的に崩壊した場合、今川や北条の勢力が信濃・甲斐に雪崩れ込み、越後にとってより強大な脅威となるリスクがありました。武田を生かし、勢力のバランスを拮抗させておくことが越後の防衛上、極めて合理的だったのです。
第3に、「義」を重んじる政治的ブランディングです。生活必需品を人質に取って民を苦しめる今川・北条の策を「卑劣な手段」と批判し、あえて経済封鎖に参加しない姿勢を示すことで、天下に対して上杉家の正当性と品格を誇示する狙いがありました。