東久邇信彦の波乱と家系図|昭和天皇の初孫が歩んだ生涯と家族の現在
東久邇信彦氏の生涯は、まさに日本の近現代史の激動と完全に重なり合っています。誕生日は1945年(昭和20年)3月10日。下町を焼き尽くした東京大空襲の炎が帝都を包む未明、宮内省(現・宮内庁)の厳戒態勢下で産声をあげました。父は東久邇宮稔彦王の長男である東久邇盛厚王、母は昭和天皇の第一皇女である照宮成子内親王です。両陛下にとって初孫の誕生は、戦局が悪化の一途を辿る皇室における数少ない慶事として迎えられました。
しかし、皇族「信彦王」としての身分は長くは続きませんでした。日本の敗戦とGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による占領統治政策に伴い、1947年(昭和22年)10月14日、11宮家51人の皇族が一斉に皇籍を離脱(臣籍降下)します。当時わずか2歳7か月だった信彦氏は、一民間人「東久邇信彦」としての生活を余儀なくされました。
学習院初等科、中等科、高等科を経て、慶應義塾大学法学部に進学。大学卒業後は三井銀行(現・三井住友銀行)に入行しました。旧皇族の看板に甘んじることなく、一般のサラリーマンと同様に実務の現場を経験した後は、日本生命保険などの民間企業に勤務。晩年に至るまで、日本・イスラエル親善協会会長や全日本ボウリング協会副会長、一般財団法人日本国際連合協会の役員などを歴任し、民間の立場から国際親善やスポーツ振興に尽力しました。