東急を巨大企業へ育てた五島昇の波乱|父・慶太との確執と日商会頭の真実

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1954年、37歳の若さで東京急行電鉄の社長に就任した五島昇を待ち受けていたのは、父・慶太の遺した巨大な資産と同時に、過度な拡張路線による膨大な負債でした。1959年に慶太が急逝すると、昇は名実ともにグループ総帥として舵取りを一任されます。

昇が断行したのは、父の「力による領土拡大」の否定でした。既存の鉄道網を軸としながら、人々の生活に密着した多角化戦略を打ち出します。その象徴が「多摩田園都市開発」と「渋谷の商業拠点化」です。単に線路を敷くだけでなく、良質な住宅地を整備し、東急百貨店や東急ストアを配置し、さらに東急ホテルズを国内外に展開することで、生活総合産業としての東急ブランドを確立しました。

「父はブルドーザーのように山を削り、道を拓いた。私の仕事は、そこに花を植え、人々が集う美しい街を造ることだ」という昇の言葉は、経営方針の転換を鮮やかに物語っています。ハワイへの進出(マウナラニ・リゾート開発など)を主導し、国際的な観光ビジネスの足がかりを築いたのも昇の卓抜した先見性による成果です。

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