逗子海岸の太陽の季節碑はなぜ建つ?石原慎太郎兄弟と刻まれた真相
1955年、当時23歳の一橋大生だった石原慎太郎氏が文芸誌『文學界』に発表した『太陽の季節』は、翌1956年1月に第34回芥川賞を受賞しました。当時の選考委員であった舟橋聖一氏や川端康成氏らの間で激しい賛否両論を巻き起こしながらも、既存の道徳観や既成概念を粉砕する生々しい若者のエネルギーが評価され、既成文壇に未曾有の衝撃を与えました。
この文学的事件を決定的な社会現象へと押し上げたのが、実弟・石原裕次郎氏の存在です。慎太郎氏が小説に描いたボート部員や奔放な若者たちの生態は、逗子の海でヨットに明け暮れ、独自のライフスタイルを謳歌していた裕次郎氏やその仲間たちの実態が色濃く反映されていました。映画化に際して日活撮影所に兄の推薦で出入りした裕次郎氏は、端役として銀幕デビューを果たし、瞬く間に昭和を代表する大スターへと駆け上がっていきました。
短髪の「慎太郎刈り」、アロハシャツ、サングラスを身にまとい、逗子や葉山の海岸に押し寄せた若者たちは「太陽族」と呼ばれ、社会現象化しました。戦後の荒廃から経済復興へと向かう過渡期において、逗子は日本のユースカルチャーとエンターテインメントが劇的な産声をあげた歴史的現場となったのです。