渡辺錠太郎と二・二六事件の真相|娘が語る最期の瞬間となぜ狙われたのか

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渡辺錠太郎の暗殺を巡っては、ネット上や一部の俗説において「軍閥闘争における統制派の強硬派ボスが粛清された」かのように単純化して語られるケースが見受けられますが、これは歴史的事実と大きく異なります。

盲点1:渡辺錠太郎は「派閥に属さない純粋な軍人」だった

渡辺は統制派のシンパと目されていましたが、本人は派閥争いを極度に嫌い、政治工作とは一線を画していました。陸軍内の調停役として信頼されていたからこそ教育総監に任命されたのであり、青年将校たちの独善的な被害妄想が彼を「悪玉」に仕立て上げたに過ぎません。

盲点2:襲撃部隊を率いた安藤輝三の葛藤

襲撃部隊の指揮官であった安藤輝三歩兵大尉は、当初、渡辺大将の暗殺に強く反対していました。安藤は渡辺の人格と軍人としての見識を深く尊敬しており、「なぜ渡辺閣下まで殺さねばならないのか」と決起首謀者である磯部浅一らと激しく対立した記録が残されています。しかし、最終的には部隊の規律と蹶起の連帯責任から襲撃を命令せざるを得ない悲劇的な立場にありました。

渡辺家の家系図と家族のその後

渡辺家は、妻・すず(鈴木家の養女)との間に複数の子女をもうけました。長男や次男など一族は軍人や実業家、教育者の道を歩みましたが、もっとも世に知られたのが四女の渡辺和子(ノートルダム清心学園理事長)です。彼女は父の死という壮絶なトラウマを抱えながらもカトリックの洗礼を受け、ノートルダム修道女会に入会。2012年に出版された『置かれた場所で咲きなさい』は200万部を超える大ベストセラーとなり、多くの人々の魂を救いました。

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