二十一カ条の要求の真相|袁世凱への圧力と第5号の罠を徹底解剖

二十一カ条の要求の真相|袁世凱への圧力と第5号の罠を徹底解剖の要点や背景をコンパクトにまとめました。最新トレンドを一目で把握できます。

二十一カ条の要求が出された1915年1月18日、世界は未曾有の戦乱の渦中にありました。前年に勃発した第一次世界大戦により、イギリス、フランス、ロシア、ドイツといった欧米列強はヨーロッパ戦線に総力を注いでおり、東アジアの権益保全にまで手を回す余裕を完全に失っていました。

この国際的な「権力の空白」を千載一遇の好機と捉えたのが、日本の第2次大隈重信内閣であり、外交を一手に担っていた加藤高明外相です。日本は日英同盟を口実に第一次世界大戦へ参戦し、ドイツが中国の山東半島に持っていた拠点(青島など)を電撃的に占領。その占領既成事実を国際的に固定化し、さらに長年の懸案であった満蒙(中国東北部・内蒙古)における日本の特殊権益を一挙に承認させようとしたのが、要求を突きつけた決定的な理由でした。

交渉の相手となったのは、辛亥革命を経て中華民国の初代大総統に君臨していた袁世凱です。当時の駐華公使・日置益は、通常の外交ルートではなく袁世凱へ直接秘密裏に文書を手交し、「他国へ漏洩させないこと」を厳重に求めました。しかし、この密室外交の圧力こそが、後に国際世論を巻き込む大波乱の引き金となっていきます。

関連記事