高島忠夫の真実|死因の真相と長男事件の闇、壮絶な闘病の全貌
2019年6月26日午後1時1分、高島忠夫(本名・髙嶋忠夫)は東京都世田谷区の自宅で息を引き取りました。享年88歳。所属事務所である東宝芸能からの公式発表における死因は「老衰」でした。一部のネット上では「うつ病を苦にした自死ではないか」「闘病中の急変ではないか」といった根拠のない臆測が飛び交った時期もありましたが、実際は長年の療養生活を経て、息を引き取る直前まで家族の手厚い介護を受けながら、眠るように穏やかに旅立ったことが遺族の会見で明かされています。
長男の髙嶋政宏、次男の高嶋政伸の両名は、父の逝去に際して連名で追悼コメントを発表しました。「最後は家族全員に見守られ、穏やかに息を引き取りました。生前、父を応援してくださったファンの皆様、関係者の皆様に心より感謝申し上げます」と述べ、最期まで家族に寄り添われ続けた父の生涯を称えました。
神戸市御影の名家に生まれた高島忠夫は、関西学院大学法学部を中退後、1951年に新東宝の「第1期ニューフェイス」として芸能界入りを果たしました。映画『恋の応援団長』でデビューを飾ると、すらりとした長身と爽やかなルックスで一躍トップスターへ駆け上がります。その後、東宝へ移籍し、日本初演のブロードウェイ・ミュージカル『マイ・フェア・レディ』でヒギンズ教授役を好演。映画俳優から舞台、テレビの司会者へと柔軟にキャリアを進化させ、昭和のエンターテインメント界を牽引し続けました。