関根潤三の伝説を徹底解剖|元祖二刀流と名将が残した育成哲学

関根潤三の伝説を徹底解剖|元祖二刀流と名将が残した育成哲学の注目されている理由をコンパクトにまとめました。全体像を一目で把握できます。

指導者としての関根氏の真骨頂は、大洋ホエールズ(1982〜1984年)およびヤクルトスワローズ(1987〜1989年)での監督時代に発揮されました。特筆すべきは、チームの目先の勝利だけに固執せず、5年後、10年後の球団を背負って立つコアプレイヤーを見出し、ブレずに育て上げた点です。

ヤクルト監督時代、関根氏は池山隆寛氏や広澤克実氏といった粗削りながら類まれな長打力を持つ若手を積極的に起用しました。当時の池山氏は三振が多く、周囲からは「もっとコンパクトに当てにいくバッティングをさせるべきだ」という批判が噴出していました。しかし関根監督は、「三振してもいいから、思い切り振ってこい」「小さくまとまるな、迷ったらフルスイングしろ」と言い続け、三振の山を築いても決してスタメンから外しませんでした。

その結果、池山氏は「ブンブン丸」の愛称でファンを沸かせる球界屈指の強打の遊撃手へと成長し、広澤氏とともにヤクルト打線の主軸に定着しました。さらに、1989年のドラフト会議では、眼鏡をかけた捕手という理由で他球団が指名を躊躇していたトヨタ自動車の古田敦也氏の才能を高く評価し、球団幹部を説得してドラフト2位指名を敢行しました。

関根氏が退任した翌年の1990年に監督へ就任した野村克也氏は、この育成された戦力と古田氏を中核に据え、1990年代のヤクルト黄金時代を築き上げます。球界関係者の間では「ヤクルトの黄金期を創ったのは野村氏だが、その種を蒔き、頑丈な苗木に育てたのは関根潤三である」という評価が定着しています。

関連記事