国宝・風神雷神図屏風に隠された衝撃の謎!宗達と光琳の決定的な違いとは?

国宝・風神雷神図屏風に隠された衝撃の謎!宗達と光琳の決定的な違いとは?について見逃せない 事実を厳選して解説いたします。

京都・建仁寺に伝来し、現在国宝に指定されている俵屋宗達筆『風神雷神図屏風』。実はこの作品には、制作年を示す明確な記録も、絵師の署名落款すら残されていません。唯一の手がかりは、画面に残された円印「対青」のみ。宮廷や幕府の公認絵師集団であった狩野派の作品とは異なり、町絵師として台頭した宗達の出自が、かえって作品の謎を深める要因となってきました。

美術史学会における有力な論証によると、本作の制作年代は寛永年間(1630年代前半)、宗達が法橋(ほっきょう)の最高位に達した晩年の到達点と目されています。発注主の有力候補として挙げられているのが、建仁寺の塔頭・正伝院を再興した織田有楽斎(織田信長の弟)の子息、あるいは豪商茶人たちです。戦乱の世が終わり、徳川幕府による秩序が固まりつつあった過渡期において、京都の町衆は度重なる大火や飢饉、疫病といった天災の恐怖に晒され続けていました。

古来、風神と雷神は『北野天神縁起絵巻』に見られるような、祟りや破滅をもたらす恐るべき異形として恐れられてきました。ところが宗達は、三十三間堂(蓮華王院)に安置されている鎌倉時代の木造風神・雷神像(国宝)の造形を援用しながらも、その凶暴性を削ぎ落とし、どこか愛嬌のあるユーモラスな表情へと昇華させました。天災への恐怖を宥め、豊かな実りをもたらす慈雨と恵みの風を寿ぐ守護神へと読み替える――。これこそが、動乱を生き抜いた京都の町衆が宗達に託した、真の祈りの形だったのです。

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