海老一染之助・染太郎の現在と死因|正月を沸かせた兄弟の絆と軌跡
海老一染之助・染太郎は、実の兄弟によるコンビです。染太郎が長男、染之助が三男(間に次男)として東京に生まれました。戦後間もない時期、伝統芸能である太神楽曲芸の名門・海老一海老蔵に入門し、厳しい徒弟制度の中で傘回し、皿回し、毬や土瓶を顎に乗せる一本竹など、命がけの超絶技巧を基礎から叩き込まれました。
もともと太神楽曲芸は寄席の「色物」として厳格な技術を無言で見せる職人的な芸でした。しかし二人は、時代がテレビ全盛期へと移行する中で劇的なパラダイムシフトを起こします。それが、「わたくし、見る人。この人、やる人!」という画期的な役割分担でした。
弟の染之助が汗を流しながら完璧なバランスで和傘の上に升や鞠を乗せて高速回転させる横で、兄の染太郎は一切曲芸をせず、扇子で拍子を取りながらボヤき、観客を煽り、絶妙な合いの手を入れます。「おめでとうございまーす!」「いつもより多く回しております!」「弟のギャラは兄のもの、兄のギャラは兄のもの!」といった数々の名言は、この絶妙な兄弟関係と信頼関係があってこそ成立した至芸でした。