横山裕のクォーター説は本当か?ロシア疑惑の真相と壮絶な生い立ち

横山裕のクォーター説は本当か?ロシア疑惑の真相と壮絶な生い立ちの真相や最新動向に迫る! わかりやすい言葉でご紹介しています。

ハーフ説という表層的な話題の裏側に、横山裕の人間性を深く決定づけた過酷な生い立ちが存在します。彼がメディアで見せる陽気なトークの深層には、壮絶な家庭環境を乗り越えてきたバックグラウンドが刻まれています。

横山裕生い立ちの経緯を辿ると、彼が3歳の頃に実の両親が離婚しています。横山裕父親真相に関しては、実父の顔をほとんど記憶しておらず、離婚後は母子家庭として育ちました。その後、母親が再婚したことで、横山には6歳下と8歳下の2人の弟が誕生します。

しかし、新しく父親となった継父との関係は極めて厳しいものでした。義父から冷遇され、時には暴力を受けるなど家庭内に居場所を失った横山は、小学校から中学校にかけて祖父母の家へ預けられる生活を余儀なくされます。実質的に家族関係が破綻するなか、祖父が倒れたことを契機に再び母と義父の元へ戻らざるを得なくなるなど、児童心理学でいう「情緒的ネグレクト」に近い過酷な幼少期を過ごしました。

中学を卒業した横山は、家計を助け自立するために高校へは進学せず、地元大阪の建設会社で配管工として働き始めました。すでにジャニーズJr.としての活動をスタートしていましたが、昼間は作業着を着て油と泥にまみれ、夜や週末に新幹線で東京へ通いステージに立つという二重生活を続けます。「芸能界で成功しなければ生きていけない」という凄まじい覚悟は、この時代に培われたものです。

その後、母親は継父とも離婚。母親は女手一つで弟たちを育てることになりますが、病弱であったため、成人した横山が実質的な大黒柱として一家を支えることになりました。横山裕弟家族構成における2人の弟の高校・専門学校・大学の学費、生活費のすべてを横山が工面した事実は、後年のドキュメンタリー特番『情熱大陸』やラジオで明かされています。

そして2010年、彼を最大の悲劇が襲います。ソロコンサートの全国ツアー中、最愛の母親が50歳という若さで虚血性心疾患により急逝したのです。公演の直前に届いた訃報に対し、横山はステージに穴を開けることなく、涙を堪えて観客を笑顔にし続けました。この横山裕母親エピソードは、ファンの間でも伝説的なプロ根性として語り継がれています。母親の死後、横山は名実ともに親代わりとなり、次男の結婚式では父親の席に座って涙を流し、三男の自立までを完全に後見しました。

関連記事