新撰組メンバー一覧|役職別の結末と死因・生存者の真相を徹底解明
多くの隊士が命を散らす中、幕末を生き延びて明治・大正の世を全うした重要幹部が存在します。彼らが生き残った背景には、卓越した剣技だけでなく、時代の変化に適応する現実的な判断力がありました。
■ 三番隊組長・斎藤一:警視庁警部として西南戦争へ
会津戦争まで徹底抗戦を貫いた斎藤一ですが、降伏後は会津藩士の娘と結婚し、名を「藤田五郎」と改めました。明治維新後は警視庁に奉職し、西南戦争の抜刀隊として従軍して武功を立てています。晩年は東京高等師範学校(現・筑波大学)の守衛や東京女子高等師範学校の庶務係を務め、大正4年(1915年)に72歳で畳の上で大往生を遂げました。新撰組時代の話をみだりに語らなかった沈黙の姿勢が、彼のリアリストとしての一面を物語っています。
■ 二番隊組長・永倉新八:回顧録を執筆し後世に歴史を遺す
甲州勝沼の敗戦後、近藤と意見が対立して袂を分かった永倉新八は、靖兵隊を結成して北関東を転戦したのちに降伏。明治期は妻の実家である松前藩の医家を継ぎ「杉村義衛」と名乗りました。晩年は北海道小樽市で暮らし、東北帝国大学農科大学(現・北海道大学)の撃剣師範を務めています。大正2年には新聞連載『新選組顛末記』の口述を行い、悪名高かった新撰組の名誉回復と真実の記録を残す立役者となりました。
このほか、箱館戦争を最後まで戦い抜いた監察の島田魁は、維新後に京都の西本願寺の夜間警備員を務めながら生涯を終えるなど、生き残った隊士たちはそれぞれ異なる形で新しい時代を受け入れていきました。