任天堂・山内溥の直感経営と遺産|花札屋を世界企業へ導いた男の真実
山内溥の経営スタイルを語る上で最大の逆説は、「本人は生涯、コンピュータゲームを一切プレイしなかった」という事実です。開発陣が最新の試作品を持ち込んでも、山内自身がコントローラーを握ることはほとんどありませんでした。彼が見ていたのは画面のグラフィックや技術的な難易度ではなく、開発者が放つ熱量と、「子どもたちが直感的に夢中になれるかどうか」という一点のみでした。
その直感経営を象徴するのが、伝説の開発者・横井軍平氏との出会いです。工場の設備保守担当だった横井氏が、勤務中の空き時間に廃材で作っていた伸び縮みするマジックハンドを山内が偶然目撃。「それを商品化しろ」と命じたことで生まれた『ウルトラハンド』は、120万個を売り上げる大ヒットを記録しました。さらに、横井氏が電卓用の液晶パネルを見て着想した『ゲーム&ウォッチ』、そして世界中で1億台以上を普及させた『ゲームボーイ』の開発を山内は即決で承認。横井氏が提唱した「枯れた技術の水平思考(安価に普及した既存技術を別の切り口で活用する思想)」は、任天堂の不変のDNAとなりました。
1980年代初頭、上村雅之氏率いる開発第二部に対して下した「ファミコン(ファミリーコンピュータ)の開発命令」も語り草です。山内は「他社が3年間は追随できない高性能なハードを、1万円以下で作れ」という極めて無謀とも思える厳命を下しました。最終的に1万4,800円で発売されたファミコンは、世界中で6,191万台を販売し、家庭用ゲームという巨大産業そのものをゼロから作り上げることになります。
山内は生前、関係者にこう語っています。
「娯楽品は生活必需品ではない。面白くなければ即座にゴミ箱行きになる。だからこそ、独創性(オリジナリティ)のないモノに価値はない」
技術のための技術に走りがちな技術者を戒め、徹底して「大衆の飽きっぽさ」と「新しい驚き」に焦点を合わせ続けた姿勢こそが、山内の直感経営の真髄でした。