楽譜の歴史と五線譜の謎|音の記録はどう進化してきたのか
西洋音楽史において、記譜法が飛躍的な進化を遂げた最大の震源地は中世のキリスト教会でした。広大な領土に広がる修道院や教会で、典礼音楽である「グレゴリオ聖歌」を統一された旋律で正確に歌い継ぐ必要が生じたためです。
9世紀頃に登場したのが、「ネウマ譜(Neuma)」と呼ばれる記譜法です。歌詞の上にペンを走らせて点やカギ状の記号を書き込み、旋律が「上がるか・下がるか」という大まかな身振りの方向性を示しました。しかし、初期のネウマ譜には基準線が存在しなかったため、「どれくらい高く歌うのか」という絶対的な音高が分からず、結局は口伝による指導に頼らざるを得ないという構造的な欠陥を抱えていました。
この混乱に終止符を打ったのが、11世紀前半(1025年頃)に活躍したイタリア・アレッツォの修道士、グイード・ダ・レッツォ(Guido d'Arezzo)です。当時の特番ドキュメンタリーや音楽史の原典資料(『ミクロログス』など)でも紹介される通り、彼は音楽教育に革新をもたらした最大の功労者として知られています。
グイードは、羊皮紙の上に色付きの基準線(赤線=ファ、黄線=ドなど)を引き、最終的に4本の平行線上に音符を配置する画期的なシステムを実用化しました。これにより、初めて見る曲であっても楽譜を見るだけで正しい音程で歌えるようになったのです。
さらに彼は、聖ヨハネ賛歌の各節の歌い出し(Ut, Re, Mi, Fa, Sol, La)の音節を利用した「階名唱法(ドレミの原型)」を考案しました。のちに「Ut(ウト)」は発音しやすい「Do(ド)」に変更され、「Si(シ)」が加えられて現在の7音音階唱法へと発展していきます。