甲斐国は現在のどこ?山梨県との境界と地名改称の謎を徹底追跡
甲斐国を語る上で欠かせないのが、戦国大名・武田氏の存在です。武田信玄甲斐国歴史の中心舞台となったのが、信玄の父・信虎が永正16年(1519年)に川田館から本拠を移して築いた「甲府」でした。「甲斐の府中(政治の中心地)」を略して命名されたのが甲府の始まりです。
信虎、晴信(信玄)、勝頼の3代にわたって領国経営の拠点となったのが、国指定史跡である躑躅ヶ崎館跡歴史詳細に記される館跡(現・武田神社)です。一般的な戦国大名が堅固な山城を築いたのに対し、信玄は盆地の平城である館に住み続けました。「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」という有名な言葉の通り、大規模な天守閣を作らず、背後の要害山城を詰城(緊急時の避難拠点)としつつ、治水事業(信玄堤)と領民の団結によって防衛網を築き上げました。
ここで多くの歴史ファンや観光客がつまずくのが、甲斐市甲府市歴史的背景にまつわる混同です。
「甲斐市に行けば信玄公の本拠地があるのか」と誤解されがちですが、信玄の館跡(武田神社)や甲府城跡があるのは甲府市です。一方の甲斐市は、2004年(平成16年)の平成の大合併において、中巨摩郡の竜王町・敷島町・双葉町の3町が合併して誕生した新しい自治体です。旧国名である「甲斐」を冠して名付けられたものの、武田氏の政治的中心であった「甲斐府中」とは行政的な直系ではない点に留意する必要があります。