甲斐国は現在の何県?山梨県へ改称された歴史の真相と武田信玄の遺産

甲斐国は現在の何県?山梨県へ改称された歴史の真相と武田信玄の遺産とはどんな影響があるのか? 専門的な分析を丁寧に紐解いて紹介します。

「信濃が長野になり、越後が新潟になったように、なぜ甲斐は山梨になったのか?」。歴史ファンの間でも長年議論を呼んできたのが、山梨県に改称された経緯です。ネット上では時折、「戊辰戦争で旧幕府側についた地域を明治政府が懲罰として旧国名から変えさせた」という“賊軍懲罰説”が語られますが、近年の公文書研究によってこれは明確に否定されています。

廃藩置県 歴史の真相を紐解くと、事実はきわめて事務的な手続きによるものでした。明治4年(1871年)7月の廃藩置県当初、甲斐国には甲府藩の流れを汲む「甲府県」が成立します。しかしそのわずか数か月後、明治4年11月(新暦1872年1月)に、明治新政府は地方官制を整理する過程で「県庁が所在する郡の名を県名にする」という統一基準を通知しました。

当時、甲府城下町が属していたのは「八代郡」と「山梨郡」にまたがる地域であり、県庁舎が置かれた場所が山梨郡甲府城内(現在の甲府市丸の内周辺)であったことから、正式に「山梨県」と改称されたのです。懲罰などではなく、全国的な制度改革の波に乗った結果にすぎません。

ちなみに「山梨」という郡名は、果物の山梨(ヤマナシ)が自生していた地域であることや、山を切り拓いて平地にした「山均(山平し)」に由来すると伝えられています。果樹王国として名高い現在の山梨県のイメージと見事に合致している点は、歴史の不思議な巡り合わせと言えます。

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