甲斐国の由来と語源の真相|山峡説から武田信玄の歴史まで徹底解説
「甲斐国」という枠組みを深く理解する上で避けて通れないのが、山梨県内に今なお厳然として存在する地域的分断、すなわち甲斐国国中と郡内の違いです。現地を取材すると、山梨県民自身が日常会話の中で「国中(くになか)」と「郡内(ぐんない)」を明確に使い分けている実態に直面します。
境界線となっているのは、険阻な笹子峠(標高1,096メートル)です。笹子峠より西側に広がる甲府盆地一帯(旧巨麻郡・山梨郡・八代郡)が「国中」と呼ばれ、政治・経済の中心地として栄えてきました。日照時間が日本一長く、果樹栽培や甲州ブドウの発祥地として知られる温暖な気候と、甲州弁(「〜づら」「〜ちょし」)に代表される独自の生活文化が息づいています。
対して、笹子峠の東側から富士北麓・桂川流域(旧都留郡、現・大月市や都留市、富士吉田市など)を指すのが「郡内」です。標高が高く冷涼で降水量の多い郡内地域は、稲作に適さない厳しい環境ゆえに古くから「郡内織(甲斐絹)」などの高度な絹織物産業を発達させました。食文化においても、国中が「ほうとう」を日常食としたのに対し、郡内では富士の湧水と織物機の作業から生まれたコシの強い「吉田のうどん」が発展しました。
現地住民の聞き取り調査や地域コミュニティの証言でも、その心理的差異は明確です。
「郡内出身の高齢世代に話を伺うと、『若い頃、甲府に行くのは旅行に行く感覚だった』『経済的にも親戚付き合い的にも、八王子や東京方面との結びつきの方が圧倒的に近かった』という実感が語られます。鉄道(JR中央線)や高速道路(中央自動車道)が整備された現在でも、国中は盆地特有の内向的で強固な結束力を持ち、郡内は首都圏志向が強いという気質の差異が随所に観察されます」(地域社会学フィールド調査員)
古代律令国家が一つの「甲斐国」として束ねた枠組みの内部には、笹子峠という天然の要害によって隔てられた全く異なる二つの小宇宙が内包されており、これこそが甲斐国の歴史に重層的な厚みを与えています。