四六時中の意味と驚きの語源!なぜ二六時中から4×6に変わったのか

四六時中の意味と驚きの語源!なぜ二六時中から4×6に変わったのかの重要ポイントをお届けします。役立つ情報が詰まっています。

現在でこそ当たり前に使われている四六時中ですが、江戸時代の文献を開くとまったく異なる表現が記されています。それが「二六時中(にろくじちゅう)」です。「四六時中の語源と由来詳細まとめ」を追う上で、この二六時中との違いを知ることは欠かせません。

江戸時代の日本は、太陽の出没に合わせて時間を区切る「不定時法」を採用していました。夜明けから日暮れまでの「昼」を6等分、日暮れから夜明けまでの「夜」を6等分し、一昼夜を合わせて合計12の「刻(こく)」で数えていたのです。子の刻、丑の刻、寅の刻といった十二支による時刻の呼び名はその名残です。

当時の人々にとって、一昼夜は24時間ではなく「12刻」でした。そのため、一日中絶え間ないことを表す掛け算は「2×6=12」となり、「二六時中」あるいは「二六時」と呼ぶのが自然な感覚だったのです。歌舞伎の台詞や江戸後期の戯作本、俳諧などにも「二六時中、思いを寄せる」といった用例が頻繁に登場します。

この常識を根底から覆したのが、明治5年11月9日に公布された「太政官布告第337号(改暦ノ布告)」です。明治政府は明治6年(1873年)1月1日をもって従来の太陰太陽暦を廃止し、欧米に倣った太陽暦(グレゴリオ暦)を導入。同時に時刻制度も1日を均等に24等分する「定時法」へと一本化されました。

一日が12刻から24時間へと移行したことで、庶民の間でも「2×6=12」という前提が成立しなくなります。そこで、西洋の時間概念を柔軟に取り入れた東京の知識人や町人たちが、「これからは24時間だから、二六時中ではなく四六時中だな」と機転を利かせ、言葉のアップデートを行いました。公式な布告によって言葉が強制されたわけではなく、人々の生活感覚と言葉遊びの精神が「二六」から「四六」へと自然に言葉をスライドさせた点に、日本語の奥深い生命力が表れています。

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