空白の一日はなぜ起きた?江川卓ドラフト騒動の衝撃真相と小林繁の悲劇
空白の一日はなぜ起きた?江川卓ドラフト騒動の衝撃真相と小林繁の悲劇の詳細について、分かりやすい解説を基に徹底解説します。
巨人が強行した「空白の一日」の契約は、セントラル・リーグの鈴木龍二会長によって即座に却下されました。翌11月22日のドラフト会議では、巨人が会議そのものをボイコットする中、阪神タイガース、南海ホークス、近鉄バファローズ、ロッテオリオンズの4球団が江川を1位指名。抽選の結果、宿敵である阪神タイガースが交渉権を獲得します。
膠着状態を打開するため、金子鋭コミッショナーが下したのが、のちに激しい批判を浴びることになる「金子裁定」でした。「江川は一度阪神と契約を結び、その後速やかに巨人へトレードさせる」という、ドラフト制度の趣旨を骨抜きにする超法規的措置です。そして、そのトレード要員として突如白羽の矢が立ったのが、当時巨人投手陣の精神的支柱であった小林繁でした。
1979年2月1日、春季キャンプへ向かう羽田空港のロビーで、小林はフロントから電撃トレードを通告されます。前年に16勝を挙げ、V9戦士の系譜を継ぐ右のエースだった小林にとって、晴天の霹靂とも言える理不尽な通告でした。しかし、詰めかけた報道陣の前で見せた態度は、日本中を唸らせることになります。
記者会見の席上、小林は取り乱すことなく背筋を伸ばし、「同情はされたくない。阪神に行っても自分のピッチングをするだけです」と静かに語りました。スーツ姿で毅然と運命を受け入れた小林の姿は「悲劇のヒーロー」「男の中の男」と称賛され、理不尽な組織の論理に抗う象徴として世論の圧倒的な支持を集めたのです。
移籍1年目となった1979年シーズン、小林が見せた鬼気迫る投球はまさに伝説となりました。古巣・巨人戦に並々ならぬ執念で登板し、巨人戦8試合に先発して8戦全勝という驚愕の記録を樹立。シーズン通算でも22勝9敗、防御率2.89の圧巻の成績で沢村賞を獲得しました。一方の江川は出場停止処分を経て6月に初登板したものの、強烈なバッシングの嵐の中で9勝10敗と負け越しに終わっています。