立浪和義と片岡篤史の絆と不仲説の真相|中日首脳陣の激闘から現在まで
立浪和義と片岡篤史の関係性を語るうえで、決して切り離せないのが1987年のPL学園高校野球部という稀代の集団です。当時、主将として名門の重圧を背負いチームを束ねたのが立浪和義であり、不動の中軸打者として打線を牽引したのが片岡篤史でした。同期にはエースの野村弘樹(元大洋・横浜)、本格派右腕の橋本清(元巨人)、さらに1学年下には後に球界屈指の名遊撃手となる宮本慎也(元ヤクルト)が控えるなど、まさに伝説的なタレントが揃っていました。
当時のPL学園野球部における寮生活は、徹底した上下関係と過酷な練習環境で知られています。3年間同じ釜の飯を食い、理不尽とも言える極限のプレッシャーを共有した同期の結束は、一般的な学生時代の友情とは根本的に異なります。当時の特番インタビューや自著・手記で語られた「あの3年間を乗り越えた仲間とは、何十年会わなくても一瞬で高校時代に戻れる」という生の告白が示す通り、二人の結びつきは「阿吽の呼吸」という言葉すら生ぬるいほどの絶対的な信頼関係に根差しています。
高校卒業後、立浪は中日ドラゴンズへドラフト1位で入団し新人王を獲得、片岡は同志社大学を経て日本ハムファイターズへ進み打点王を獲得するなど、別々の道を歩みながらも常に互いの背中を意識し合っていました。その二人が指導者として交差したのが、立浪が中日の再建を託された運命の2022年シーズンでした。