鹿児島の松下美術館になぜモネが?驚異の所蔵品と創設秘話を解明
松下美術館を初めて訪れる鑑賞者の誰もが抱く最大の疑問、それが「なぜ、大都市の国立美術館でも容易に手に入らない印象派や近代絵画の至宝が、鹿児島県霧島市福山町という静寂の地に存在するのか」という点です。その答えは、同館の創設者である松下兼知(まつした かねとも)氏(1912〜1991年)の人生と強い信念にあります。
鹿児島県福山町出身の松下兼知氏は、司法研修所教官や最高裁判所研修所弁護士教官を歴任した高名な弁護士であり、法曹界の重鎮として活躍した人物でした。戦後の復興期から高度経済成長期にかけて激務をこなす傍ら、松下氏は深い審美眼を持って国内外の優れた美術品を半生かけて収集していきました。しかし、その収集目的は個人的な富の誇示や投機などでは決してありませんでした。
松下氏の自著や当時の手記、開館記念の記録には、次のような趣旨の痛切な思いが記されています。
「東京やパリに行かなければ本物の名画を見ることができない現状は、地方に生きる若者や子供たちにとってあまりに不条理である。感受性豊かな成長期にこそ、世界最高峰の美の息吹に直に触れさせたい」
高度経済成長が生み出した東京一極集中と、それに伴う「文化資本の極端な地域格差」に対して、松下氏は強い危機感を抱いていました。地方に生まれたというだけで一流の芸術と出会う機会が奪われてはならないという熱狂的な義憤と郷土愛。この想いが結実し、松下氏は生涯で築いた私財のほぼすべてを投じ、1983年(昭和58年)に自らの故郷である霧島市福山町の山あいに私立美術館を開館させたのです。大企業の後援や行政の大型補助金に頼ることなく、一人の個人の篤志によって世界的名画が集められたという事実こそが、この地にある最大の理由です。