なぜ黒い街宣車で大音量?右翼団体の知られざる資金源と実態を徹底解説

なぜ黒い街宣車で大音量?右翼団体の知られざる資金源と実態を徹底解説の具体的な内容に迫る! 専門的な視点で紐解きます。

日常会話やニュースで頻繁に使われる「右翼」と「左翼」という対比ですが、その根本的な思想的境界線はどこにあるのでしょうか。歴史的な右翼団体の歴史と目的を紐解くことで、街宣車の騒音だけに還元されない思想の系譜が浮かび上がってきます。

右翼と左翼の概念は、フランス革命期の国民議会において、議長席から見て右側に保守派(王党派)、左側に急進的な改革派(ジャコバン派)が座った配置に由来します。日本の文脈における右翼と左翼の違いは、端的に言えば「国体(天皇を中心とする伝統・文化・歴史)の不可侵性を信奉するか、それとも普遍的な理性や人権、国際協調に基づいて社会構造の根本的変革を目指すか」という一点に集約されます。

日本の近代右翼の源流は、明治期に結成された「玄洋社」や「黒龍社」といった国家主義団体に遡ります。彼らは欧米列強のアジア侵略に対抗するため、対外硬気論を主張し、アジア主義と国家主義を融合させた運動を展開しました。戦前には軍部と結託した右翼テロ(五・一五事件、二・二六事件など)へと先鋭化し、国家を破滅的な戦争へと導く推進力となりました。

敗戦後、GHQの占領下で戦前右翼は解散処分を受けましたが、東西冷戦の激化とともに「逆コース」の波に乗り、徹底した反共産主義を掲げる集団として息を吹き返します。この時期に台頭したのが、児玉誉士夫ら政財界のフィクサーと結びついた親米・反共の行動右翼です。アメリカの庇護下で資本主義を守る防波堤として、左派の安保闘争や労働運動を実力で阻止する汚れ役を担いました。

ところが1970年代に入ると、この「親米・反共」路線に反旗を翻す潮流が誕生します。作家の三島由紀夫による自決事件(1970年の三島事件)に強い衝撃を受けた若者たちが立ち上げたのが、一水会と新右翼の主張に代表される民族派右翼です。

一水会を結成した鈴木邦男らは、「戦後右翼はアメリカの反共の手先として魂を売り渡した」と激しく批判。対米従属からの真の独立、ヤルタ・ポツダム体制の打破、自主憲法の制定を掲げ、暴力による示威行動ではなく言論とシンポジウムによる啓蒙活動を展開しました。新右翼は時として反米や反グローバリズムの文脈で左翼陣営とも対話を試みるなど、単なる「黒塗りの街宣右翼」とは完全に一線を画する独自のポジションを築いていったのです。

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