なぜ一度消えた「親不孝通り」が復活?改名騒動の知られざる真相を徹底解説
予備校生の街として始まった通りは、1980年代後半から1990年代のバブル景気に伴い、九州最大のナイトレジャー街へと激変します。「マリアクラブ」や「マハラジャ」をはじめとするメガディスコが林立し、週末になると数千人規模の若者が集結。全国的なポップカルチャーの最前線として脚光を浴びました。
しかし、ディスコブームの熱狂と裏腹に、街の環境は急速に悪化します。深夜の暴走行為、違法駐車、暴力トラブル、未成年者の深夜徘徊が日常化。1997年に福岡県警が実施した重点監視では、わずか短期間で100人以上の少年少女が補導される事態に発展しました。警察の取り調べに対し、一部の補導された若者が「親不孝通りという名前に惹かれてやってきた」と答えたことが報道され、地元住民や商店街関係者に大きな衝撃を与えました。
こうした荒廃に危機感を募らせた地元協議会は、2000年に通りの愛称を「親富孝通り」へと改名します。「若者を豊かにし、親孝行ができる街へ」という願いを込め、イメージ刷新を図ったのです。同時に長浜公園の敷地内へ福岡県警・舞鶴交番が新設され、防犯対策が本格化しました。これが親富孝通り 改名の経緯です。
ところが、「親富孝」への改名は思わぬ副作用を生みました。少子化や大学全入時代の到来によって予備校の閉校・移転が相次ぎ、バブル崩壊後のディスコ閉鎖も重なって街の集客力が低下。「歴史ある愛称を捨てたことで街の求心力やカルチャーの独自性が失われた」「親富孝という無理やりな当て字では愛着が湧かない」という声が、古くからのファンや若手経営者の間でくすぶり続けました。
転機が訪れたのは2017年です。地元商店街の「天神三丁目町内会」や事業者有志が立ち上がり、「若者文化の発信地としてのアイデンティティを取り戻すべきだ」として、通りの名称を元に戻す議論が本格化。アンケート調査でも圧倒的多数が名称復活を支持した結果、17年ぶりに「親不孝通り」の名称が公式に復活しました。一度は悪名として忌み嫌われたストリートネームが、地域の歴史的資産として再評価されて復活を遂げた極めて珍しい事例といえます。