なぜイチローは国民栄誉賞を3度辞退したのか?明かされた名言と決断の真相
イチロー氏がこれまでに国民栄誉賞の打診を受けたのは、2001年、2004年、2019年の3つの節目です。当時の官房長官会見記録や内閣府の公表資料を紐解くと、それぞれの局面で彼がどのような言葉を返し、打診を断り続けたのかという経緯が明確に記録されています。
最初の打診は、シアトル・マリナーズに移籍した1年目の2001年秋でした。日本人野手としてメジャーリーグに初挑戦し、首位打者と盗塁王、さらにはアメリカン・リーグ最優秀新人賞とMVPを同時受賞するという空前絶後の快挙を達成。当時の小泉純一郎内閣から授与が打診されましたが、イチロー氏は「まだ現役で発展途上の選手であり、そのような賞をいただくのは自分には早い。今後のモチベーションが保てなくなる」という趣旨を伝え、辞退を選びました。
2度目の打診は2004年秋、ジョージ・シスラーの持つメジャー歴代年間最多安打記録(257本)を84年ぶりに更新し、年間262安打という不滅の大記録を樹立した際です。再び政府から打診されたイチロー氏は、代理人を通じて丁重に辞退の意向を伝達。当時の福田康夫官房長官らは「本人の意向を尊重する」として授与を見送る判断を下しました。このときも「現役選手としてプレーを続けている間は、評価を受け止めるのではなく次の打席に向かいたい」というストイックな姿勢が一貫していました。
そして3度目は、2019年3月の現役引退時です。東京ドームで行われたMLB開幕シリーズを最後に現役生活に終止符を打った直後、安倍晋三内閣(菅義偉官房長官)が授与を検討。これに対し、イチロー氏は代理人を通じて「人生の幕を下ろしたときにいただけるよう励みます」という極めて象徴的なメッセージを添えて辞退を申し出ました。単に賞を拒絶するのではなく、国家からの敬意を受け止めつつも、自らの生き方の完結点までは評価を受け取らないという強烈な意思表示でした。