「女帝」重信房子の若き日は美人だった?伝説の美貌と歴史の真相
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1971年、重信房子は偽装結婚を経て日本を出国し、レバノンの首都ベイルートへと向かった。目指したのは、現地の武装勢力であるパレスチナ解放人民戦線(PFLP)との共闘である。中東のアラブ諸国において、極東のアジア人女性が銃を手に戦線に立つ姿は強烈なインパクトを与えた。彼女は現地でアラブの民衆と交流し、パレスチナ闘争の正当性を世界に訴える広報宣伝活動の中心的役割を担うことになる。
ベイルートを拠点に結成された日本赤軍は、ハーグ事件やクアラルンプール事件など、次々と国際テロ事件を引き起こした。重信房子はその頭脳として、政治的交渉や資金ルートの確保に奔走。冷酷な戦略家としての手腕を発揮しながらも、アラブの世界では「娘」や「同志」として親しまれる一面を持っていた。運動の理想とテロリズムの残酷さが表裏一体となった過激な過渡期であった。