平安美人の条件はなぜ現代と真逆なのか?引眉とお歯黒に隠された真相
Q1:平安時代の貴族女性は、お風呂に入らなかったというのは本当ですか?
A1:完全な湯船に浸かる入浴は稀でしたが、完全に不潔だったわけではありません。当時の貴族は「湯浴み」として蒸し風呂を利用したり、香草を入れた湯で濡らした布で体を拭く「清拭(せいしき)」を頻繁に行っていました。ただし、身の丈以上もある黒髪の洗髪は重労働かつ乾かすのに丸一日を要したため、吉日を選んで年に数回から月1回程度しか洗えませんでした。その体臭や髪の匂いをカバーするために、香木の薫物を着物や部屋に徹底的に焚き染めていたのです。
Q2:一般庶民の女性も、引眉やお歯黒をしていたのですか?
A2:平安時代における引眉やお歯黒は、宮廷貴族や特権階級だけの特別な身だしなみでした。農作業や日々の肉体労働に従事する庶民の女性たちが眉を抜いたり、高価な鉄漿水を使って歯を染めることはありませんでした。お歯黒や眉剃りが武士階級や一般庶民の既婚女性にまで広く浸透したのは、室町時代から江戸時代以降のことです。
Q3:平安時代の男性貴族も化粧をしていたと聞きましたが事実ですか?
A3:事実です。公卿や上流貴族の男性たちも、朝廷に出仕する際には薄く白粉をはたき、眉を整え、成人儀礼(元服)を済ませた証としてお歯黒を施していました。男性であっても肌の白さや身だしなみの美しさは「家格」と「教養」を示す重要事項であり、美しい男性貴族は宮中で大きな称賛を浴びました。
Q4:十二単(じゅうにひとえ)を着た状態で、まともに歩くことはできたのですか?
A4:十二単の総重量は最大で約20キログラムにも達しました。そのため、現代の衣服のように軽快に歩き回ることは不可能です。基本的には膝をついたまま移動する「膝行(しっこう)」が室内の所作であり、立ち上がる際も腰の重心を低く保つ独特の身のこなしが求められました。この重量感と制約された動作そのものが、貴族女性特有のゆったりとした優雅な立ち振る舞いを生み出す要因となっていました。