沖縄慰霊の日はなぜ休み?6月23日の歴史真相と知るべき追悼の意義
6月23日の朝、糸満市摩文仁の沖縄県平和祈念公園には、未明から数多くの遺族や県内外の参拝者が訪れます。強い日差しが照りつける断崖絶壁の上で執り行われるのが、沖縄県と県議会が主催する沖縄全戦没者追悼式です。歴代の内閣総理大臣や衆参両院議長、米国や各国の駐日大使らが列席し、厳粛な空気の中で平和宣言が読み上げられます。
正午を迎えると、祈念公園をはじめ県内全域の寺社仏閣の鐘や防災無線からサイレンが一斉に鳴り響きます。これが正午の黙祷です。式典会場だけでなく、走行中の路線バスが停車し、那覇の国際通りを行く買い物客も足を止め、港の漁船すらエンジンを止めて静寂の中に没します。この1分間の沈黙は、失われた肉親との魂の対話であり、沖縄戦を生き抜いた先人たちへの敬意の表れです。
祈念公園内でひときわ特異な存在感を放つのが、波打つように整然と並ぶ屏風状の黒御影石の記念碑群、平和の礎(へいわのいしじ)です。1995年の太平洋戦争終結50周年を記念して建立されたこのモニュメントには、思想や国家の壁を越えた深遠な哲学が宿っています。
一般的な慰霊碑が自国の戦没将兵のみを顕彰するのとは対照的に、平和の礎には日本人将兵や沖縄の一般住民はもちろん、敵国であったアメリカ軍兵士、英国軍兵士、そして日本軍に徴用された台湾や朝鮮半島出身者に至るまで、沖縄戦で命を落としたすべての戦没者の氏名が等しく刻まれています。刻銘数はすでに24万人を超えており、身元が判明した犠牲者の名前は現在も追加刻銘が続けられています。刻まれた名前を指でなぞりながら涙を流す高齢の遺族の姿は、この場所が単なる歴史観光地ではなく、今も生き続ける祈りの現場であることを強烈に物語っています。
また、同日には糸満市内のひめゆりの塔でも多くの献花が行われます。引率教員や級友を目の前で失った元女子学徒たちの無念が刻まれたこの地には、毎年多くの若者や修学旅行生、全国の市民が足を運び、戦争が子どもや女性たちに強いた凄惨な現実を追体験しています。