菅原文太の若い頃が超絶イケメン!モデル時代から仁義なき戦いまでの軌跡
宮城県仙台市に生まれた菅原文太は、名門・宮城県仙台第一高等学校を経て早稲田大学第二法学部へ進学した秀才肌でもありました。しかし、学業とモデル活動を両立する中で表現の世界に強く惹かれ、大学を中退する道を選びます。当時の学生運動や文化の胎動に触れる中で、浅利慶太や日下武史らが立ち上げた劇団四季の旗揚げ公演(1954年)に舞台美術スタッフ兼役者として参加するなど、演劇の最前線に身を投じました。
1958年、モデル活動を見ていた新東宝のプロデューサーにスカウトされ、映画『白線秘密地帯』で銀幕デビュー。同期の宇津井健や吉田輝雄らとともに若手二枚目スター「ハンサムタワーズ」として売り出されます。しかし、当時の新東宝の経営悪化と作品テイストの偏りから、本人が望むような本格的な役に恵まれない不遇の時代を過ごすことになります。端正なルックスが先行するあまり、自身の持ち味である泥臭い人間味を活かしきれない葛藤が続きました。