三笠宮家の現在はどうなる?百合子さま薨去と宮家存続の行方

三笠宮家の現在はどうなる?百合子さま薨去と宮家存続の行方についての疑問解決ガイドをご紹介します。

三笠宮家がどのような歴史を歩み、なぜ皇室内で独自の立ち位置を築いてきたのかを理解するには、初代当主である三笠宮崇仁(たかひと)親王の存在を外すことはできません。大正天皇と貞明皇后の第4皇男子(昭和天皇の末弟)として1915年に誕生された崇仁親王は、太平洋戦争に従軍された経験から、戦後は激しい自省と平和への祈りを込めて歴史学者への道を歩まれました。

崇仁親王は自著や講演において、かつて「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた」と当時の軍部を厳しく批判し、学問的真実を追究する姿勢を崩しませんでした。古代オリエント史研究の第一人者として東京藝術大学などで教壇に立ち、「オリエントの宮様」「赤の宮様」と親しまれたその背景には、何者にも阿らない徹底した知的好奇心と誠実さがありました。

崇仁親王と百合子さまの間には、3男2女の計5人のお子さまが誕生されました。しかし、男子全員が父親である崇仁親王よりも先に亡くなられるという、過酷な宿命を背負うことになります。

  • 長男:寛仁(ともひと)親王(2012年薨去・享年66)「ヒゲの殿下」として愛され、障害者福祉やスポーツ振興に尽力。
  • 次男:桂宮宜仁(よしひと)親王(2014年薨去・享年66)障害を抱えながらも公務に励まれ、独身を貫かれた。
  • 三男:高円宮憲仁(のりひと)親王(2002年薨去・享年47)1984年に高円宮家を創設。日韓W杯親善や文化・スポーツ交流に情熱を注がれたが、スカッシュのプレー中に急性心不全で急逝。

高円宮家は、崇仁親王の三男である憲仁親王が創設した宮家であるため、三笠宮家とは極めて濃密な血縁関係にあります。憲仁親王の薨去後は、妻の久子さまが当主として宮家を守り、長女の承子さまが公務を支えられています。三笠宮崇仁親王の血脈は、現在、寛仁親王の娘である彬子さまと瑶子さま、そして高円宮家の承子さまという女王方によって受け継がれているのです。

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