市川猿翁が遺した革新と波乱の生涯|香川照之との確執と團子への継承
1939年(昭和14年)12月9日、三代目市川段四郎の長男として東京に生まれた喜熨斗政彦(きのしまさひこ)は、わずか7歳で初代市川團子を名乗り初舞台を踏みました。1963年、祖父である初代猿翁と父・三代目段四郎が相次いで他界するという悲劇に見舞われ、23歳の若さで三代目市川猿之助を襲名。名門の庇護を失い「孤高のプリンス」となった彼は、ここから既成概念を打ち破る闘争の道へと突き進みます。
当時の歌舞伎界は門閥制度が色濃く残る保守的な世界でした。猿翁はこれに対抗すべく、埋もれた古典演目の復活上演や、客席の上をワイヤーで飛翔する「宙乗り」の再導入など、観客本位のド派手な演出を次々と打ち出しました。生涯における通算宙乗り回数は5,000回以上というギネス級の記録を誇ります。
その革新性が頂点に達したのが、1986年に幕を開けた『ヤマトタケル』(梅原猛作)をはじめとする「スーパー歌舞伎」です。現代日本語によるセリフ劇、壮大な舞台装置、照明と音響を駆使したスピーディーな演出は、それまで歌舞伎に触れてこなかった若者や演劇ファンを熱狂させました。
猿翁が掲げた哲学は、「ストーリー(筋の面白さ)」「スピード(テンポの速さ)」「スペクタクル(壮大な視覚効果)」という「3S」の徹底です。「伝統とは革新の連続である」という信念のもと、彼は歌舞伎を一部の特権階級のものから大衆の熱狂へと解き放ちました。