太地喜和子の事故死と伝説の真相|奔放な愛と舞台に生きた48年
1943年12月2日、東京都中野区に生まれた太地喜和子(本名:太地喜和子、旧姓:志村)の生い立ちは、決して平坦なものではありませんでした。母・悌子(ていこ)氏の手ひとつで育てられ、花街や芸者の世界が身近にある独特の環境で育ちました。母の強い情熱と複雑な家庭環境の中で培われた鋭い感受性が、後の女優としての土台を形成します。
1960年、東映ニューフェイス第10期生として芸能界入りを果たし、映画『若さま侍捕物帖』などで銀幕デビューを飾ります。しかし、映画会社の型にはまった枠組みに収まりきれなかった彼女は、より深く人間の業を表現できる場を求め、1966年に名門・文学座の研究生となりました。
文学座に入団した若い頃の太地喜和子は、可憐な容姿とハスキーで艶のある声、そして何よりも舞台上で放つ強烈な存在感で、瞬く間に劇団の巨頭・杉村春子の目に留まります。杉村は彼女の天賦の才を見抜き、厳しくも温かい指導で鍛え上げました。『欲望という名の電車』のブランチ役や『女の一生』のけい役など、大役を次々と射止め、名実ともに「杉村春子の正統後継者」「文学座のトップ女優」へと駆け上がっていきました。