台湾が敬愛する八田與一の真実|不毛の大地を変えた偉業と愛される理由
八田與一が現地で「神様のような恩人」として称えられる理由は、単に巨大な土木建造物を遺したという技術的成果だけにとどまりません。工事に関わったすべての人々に対する徹底した平等精神と深い人間愛が、人々の心に深く刻まれているためです。
建設現場となった烏山頭には、作業員とその家族が安心して暮らせるように、病院、学校、商店、共同浴場、さらには娯楽施設まで備えた先進的な「企業都市」が建設されました。八田は「良い仕事は、充実した生活環境から生まれる」という確固たる信念を持ち、台湾人と日本人の間で給与や住環境に差別を設けることを厳しく禁じました。
1923年(大正12年)に関東大震災が発生し、予算削減のために大規模な人員整理を迫られた際、八田が下した決断は周囲を驚かせました。彼は無能な作業員ではなく、「優秀で再就職先がすぐに見つかる有能な技師」から優先して解雇したのです。「能力の低い者を放り出せば、その家族は路頭に迷ってしまう」という八田の判断に、現地の作業員たちは涙を流して感謝したと伝えられています。
また、烏山頭ダムの敷地に立つ八田與一の銅像は、一般的な軍人や政治家のように威圧的な立ち姿ではなく、作業服姿で地面に腰を下ろし、頭を抱えて思案する姿で作られています。これは「現場で苦悩を共にした八田技師のありのままの姿を残したい」と、現地の農民たちが自発的にお金を出し合って建立したためです。