天然痘に苦しんだ有名人・偉人の真相|伊達政宗や夏目漱石の痕跡
日本における感染症の歴史を紐解くと、天然痘は古代から権力構造を根底から揺るがす最大の脅威でした。記録に残る最初の大規模な猛威は、奈良時代の天平9年(737年)に起きた天然痘の大流行です。当時、朝廷の実権を握っていた藤原不比等の4人の息子(藤原武智麻呂・房前・宇合・麻呂の「藤原四兄弟」)が全員相次いで病死。政権中枢が壊滅状態に陥ったことで政治情勢が一変し、聖武天皇による東大寺の大仏建立の直接的な契機となりました。
江戸幕府を開いた徳川将軍家も例外ではありません。3代将軍・徳川家光は寛永年間に重い疱瘡を患い、一命を取り留めたものの顔に消えない痘痕を残しました。さらに5代将軍・徳川綱吉の長男である徳川徳松はわずか5歳で天然痘により夭折し、これが後の将軍後継問題や「生類憐れみの令」を巡る幕政の混乱へとつながっていきます。また、幕末に激動の政局を担った第121代・孝明天皇の崩御(1867年)についても、公式記録上の死因は天然痘(痘瘡)とされています。
身分や階級を問わず無差別に襲いかかった疱瘡は、単なる病にとどまらず、日本の歴史の潮目を幾度も変える決定的な要因となっていました。