岩倉使節団は何をした?条約改正失敗から近代化を導いた2年の全貌についての疑問解決ガイドをご紹介します。
使節団がどのような旅程を経て何を持ち帰ったのか、客観的な数値データと現場検証から構造を整理します。
項目詳細・数値データ派遣前の想定・目標歴史的評価と波及効果派遣期間・参加人数1871年11月〜1873年9月(約632日間)/総勢107名(使節団本体46名)約10カ月半での帰国予定期間が大幅に延長され、明治政府の財政に重い負担を与えたものの、多角的な調査を実現。不平等条約の改正0件(訪問した12カ国すべてで正式改定合意に至らず)予備交渉を通じた条約改定の下地作り外交的には惨敗。ただし「国内法整備と国力充実が先決」という不可欠な教訓を得た。欧米視察の網羅性工場、造船所、学校、議会、裁判所、博物館など数百カ所を視察先進技術と政治体制の概略把握全5巻の報告書『米欧回覧実記』に結実。官僚機構、警察、金融、女子教育の青写真となる。国家指針の決定プロイセン宰相ビスマルクとの会談、英米仏独の国力比較漠然とした「文明開化」の模倣「国際公法は建前に過ぎず軍事力・経済力が本質」と悟り、殖産興業と富国強兵へ完全シフト。
佐々木 一輝
ビジネス戦略アナリスト
Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。