家康と信長はなぜ裏切らなかった?清洲同盟の真実と築山殿事件の闇

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永禄5年(1562年)、桶狭間の戦いで今川義元が討ち取られた混乱の中、織田信長と徳川家康(当時は松平元康)の間で結ばれたのが清洲同盟です。戦国時代の同盟関係が数年で瓦解するのが常である中、織田徳川同盟が破棄されなかった理由は、感情論を超えた冷徹な戦略的合致にありました。

当時、信長は美濃攻略を経て上洛を目指すため「東側の安全保障」を必要としており、家康は今川領の遠江・駿河へ進出するために「西側の盾」を求めていました。互いが背中を預け合い、信長は西へ、家康は東へと勢力を伸ばすベクトルが完全に一致していたのです。

また、信長と家康の年齢差は約8歳(信長が年上)。少年時代に家康が織田家の人質となっていた時期の接触については諸説ありますが、互いの軍事的実力と政治的手腕を誰よりも高く評価し合っていたことは疑いようがありません。

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