ザ・ピーナッツ伊藤エミの息子は今?沢田研二との劇的再会と知られざる真相
沢田研二さんと伊藤エミさんの家族史を語る上で避けて通れないのが、1980年代に芸能界を揺るがした離婚騒動と巨額の慰謝料問題です。
映画共演から始まった略奪劇と「18億円」の代償
夫婦関係に亀裂が入った決定打は、1982年公開の映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』での沢田研二さんと田中裕子さんの共演でした。二人の親密な交際は瞬く間に報じられ、週刊誌による追跡劇へと発展。エミさんは当初、家庭を守るため修復を模索したとされていますが、最終的に1987年1月に協議離婚が成立しました。
この際、沢田研二氏が支払った慰謝料は約18億1800万円と報じられ、当時の芸能界史上最高額として世間を驚愕させました。世田谷区の豪邸を含む資産の多くをエミさんに譲渡したジュリーは、1989年11月に田中裕子さんと出雲大社で再婚。一人氏の親権は母であるエミさんが持つこととなりました。
世田谷の豪邸で過ごした母・叔母との日々
離婚後、一人氏を育て上げたのは母・伊藤エミさんと、双子の妹である伊藤ユミさんでした。ザ・ピーナッツとして一心同体で歩んできた二人は引退後も強い絆で結ばれており、世田谷の自宅で一人氏に無償の愛を注ぎました。
報道各社の当時の取材記録によると、エミさんは周囲に対して「息子の前で父親の悪口は絶対に言わない」という鉄則を課していたといいます。どれほど理不尽な形で別れることになろうとも、一人氏にとって沢田研二氏が唯一無二の父親であるという事実を尊重し続けたのです。
2012年、癌との闘病と「25年ぶりの再会」
しかし、過酷な運命が母子を襲います。伊藤エミさんは癌を患い、長い闘病生活の末、2012年6月15日に71歳で逝去しました。妹のユミさんもまた、2016年5月18日に75歳でこの世を去っています。
エミさんの死に際し、大きなドラマが生まれました。離婚以来、四半世紀にわたって父・沢田研二氏と息子・一人氏は音信不通の絶縁状態にありました。しかし、病床のエミさんは「もし自分に何かあったら、父親に連絡を取りなさい」という趣旨のメッセージや手紙を息子に託していたのです。
母の逝去を受け、一人氏は勇気を出して沢田研二氏の所属事務所や関係者を通じて連絡を取りました。都内で行われた密やかな対面において、25年ぶりに息子と向かい合った沢田研二氏は涙を流し、これまでの空白の歳月を詫びたと報じられています。母・エミさんが最期に残した配慮が、引き裂かれていた父子の絆を劇的に修復させた瞬間でした。