中央線の鉄道唱歌に幻の歌詞?甲武鉄道の歴史と現在の停車駅を徹底検証
中央線の鉄道唱歌に幻の歌詞?甲武鉄道の歴史と現在の停車駅を徹底検証の真相や最新動向に迫る! わかりやすい言葉で紐解きます。
ネット上のコミュニティ等では「発禁処分になったのではないか」「国鉄と甲武鉄道の対立で消滅した」といった推測が飛び交うことがありますが、歴史的資料を突き詰めると、それらは事実と異なります。中央線版がメジャーな教科書音楽として残らなかった背景には、より現実的な輸送事情と企業史が存在します。
第1の決定打は、「電化の早さ」による輸送形態の激変です。甲武鉄道は1904(明治37)年、飯田町〜中野間に当時としては日本初となる電車(直流600V)を導入しました。これにより「汽車旅の情緒」を楽しむ長距離の汽笛紀行ではなく、高頻度で都市生活者を運ぶ「通勤電車」への性格転換が急速に進んだのです。
第2の要因は、起点ターミナルのめまぐるしい移転でした。新橋から神戸までレールが一本に繋がっていた東海道本線に対し、甲武鉄道からの中央線ルートは、新宿発から飯田町、御茶ノ水、万世橋、そして1919(大正8)年の東京駅乗り入れに至るまで、わずか十数年の間に起点が次々と塗り替えられました。歌詞の1番に特定の駅名を織り込んでも、数年後には現状と乖離してしまう構造的な宿命を抱えていたのです。
さらに、明治39(1906)年の鉄道国有法による買収によって、甲武鉄道という先進的な私鉄が消滅したことも影響しました。自社の宣伝や観光客誘致のために唱歌を後押ししていた民間スポンサーが消えたことで、大和田建樹による歌詞も「未定稿」あるいは「地域向けの私家版教材」としての域を出ないまま、時代の波に呑まれていきました。