西南戦争をわかりやすく解説|なぜ西郷隆盛は立ち上がったのか?真相と結末
西南戦争の背景には、明治維新によって急速に進められた近代化と、それによって居場所を失った「武士(士族)」たちの絶望がありました。当時の日本において、士族反乱が相次いだ理由は大きく分けて3つの構造的要因が存在します。
第1に、秩禄処分と廃刀令による特権とアイデンティティの完全剥奪です。政府は国家財政の約3割を占めていた武士への給料(家禄)を打ち切る「秩禄処分(1876年)」を断行し、同時に武士の魂とされた刀の帯刀を禁じる「廃刀令」を発令しました。これにより士族は経済的な困窮に追い込まれただけでなく、社会的な尊厳まで奪われることとなりました。
第2に、明治六年政変(1873年)による政府の分裂です。朝鮮への使節派遣をめぐるいわゆる「征韓論」論争で、内政優先を唱える大久保利通・岩倉具視らと、外政・使節派遣を主張した西郷隆盛・板垣退助らが激しく対立。敗れた西郷は下野して郷里の鹿児島に戻り、多くの軍人・官僚もこれに追随しました。
第3に、鹿児島に設立された私学校の存在です。鹿児島に戻った西郷は、血気盛んな若者たちを教育・統制するために私学校を設立しました。しかし、ここは事実上の軍事訓練機関であり、鹿児島県は明治政府の命令が届かない「半独立国」のような状態となっていきます。政府への不満を募らせる私学校の生徒たちと、彼らを危険視する政府側の謀略(弾薬移送や西郷暗殺未遂の噂)が衝突の引き金となり、西郷は若者たちの暴発を抑えきれず、自ら責任を背負う形で挙兵を決意しました。