紫艶の若い頃が美しすぎる!桂文枝との関係と早すぎる最期の真相
近年、SNSやインターネット上の歌謡曲ファンの間で「紫艶の若い頃が美人すぎる」として、当時のレコードジャケットやグラビア写真が再注目を集めています。現在流通している紫艶の若い頃の画像を見ても、切れ長の魅惑的な瞳と吸い込まれるような白い肌、そして身長165cm前後・バスト90cm超と報じられた抜群のプロポーションは、従来の着物姿で直立不動で歌う伝統的演歌歌手のイメージを根底から覆すものでした。
彼女の本名は中江ひろ子(なかえ ひろこ)。1978年1月17日に兵庫県尼崎市で生を受けた彼女は、わずか2歳9ヶ月にして民謡教室に通い始め、幼少期から数多くの民謡大会でトロフィーを総なめにする神童でした。そのずば抜けた素質が開花したのは1996年、彼女が18歳の時です。大手芸能事務所である吉本興業が主催した『吉本演歌歌謡曲選手権』に出場した中江ひろ子さんは、並み居る実力者たちを圧倒して初代グランプリを獲得しました。
このコンテストで審査員を務め、彼女の圧倒的な才能と美貌に目を留めたのが、上方落語界のトップに君臨していた桂三枝(現・六代桂文枝)でした。三枝によって「妖艶な紫の輝き」を意味する「紫艶」という芸名を授けられた彼女は、2000年、シングル「渋谷のネコ」で華々しくメジャーデビューを飾ります。
紫艶のデビュー当時のプロモーションは、当時の歌謡界において極めて革新的なものでした。胸元を大胆に強調したボディコンシャスなドレスやスリットの深いドレスを身にまとい、激しい身振りとハスキーかつ情感豊かな歌声で歌い上げるスタイルは、メディアから「セクシー演歌歌手」と命名され、写真週刊誌のグラビアページや深夜番組を席巻したのです。