大阪で生まれた女歌詞の意味と全18番の真相!別れの理由とモデル秘話
1979年(昭和54年)、日本の音楽シーンに鮮烈な爪痕を残した『大阪で生まれた女』。この楽曲の誕生経緯には、常識破りのスケールが隠されています。シンガーソングライターのBORO氏が書き上げたオリジナルの原稿は、ノート数冊に及ぶ全18番、通しで演奏すれば35分を超える超大作でした。
当時、関西のライブハウスを中心に活動していたBORO氏のデモテープを偶然耳にし、その圧倒的な詞世界に衝撃を受けたのが、俳優・歌手として絶頂期にあった萩原健一(ショーケン)氏でした。「この歌をどうしても歌いたい」と熱烈に希望した萩原氏が同年5月に先行シングルおよびアルバム『Don.Juan』でリリース。続いて同年8月にBORO氏自身がシングルとして世に問い、双方のバージョンが相乗効果を生んで社会現象的な大ヒットを記録しました。
ラジオやテレビの歌番組という限られた放送尺(約4分前後)に収めるため、レコード会社とプロデューサーは苦渋の決断として歌詞を大幅に編集しました。大衆の耳に届いたのは、全18章からなる長編小説の「クライマックスの別れ」を抜き出したエッセンスだったのです。