日本の「西と東」の境界線はどこ?味や文化が分かれる真相を徹底解明
「日本の西と東の境界線は一体どこなのか?」という問いに対し、唯一絶対の答えは存在しません。なぜなら、依拠する視座――地質、政治史、行政管轄――によって、引かれるラインが数十キロから数百キロ単位で移動するためです。
地質学的な観点において最も権威ある区分は、新潟県糸魚川市から静岡県静岡市へと抜ける大断層帯「糸魚川静岡構造線」(フォッサマグナの西縁)です。ユーラシアプレートと北米プレート(あるいはアムールプレートとオホーツクプレート)がせめぎ合うこの地層境界こそ、日本列島が物理的に東西へ分裂・接合した痕跡にほかなりません。山岳地帯を貫くこの大断層は、古来より人馬の移動を阻む自然の要害として機能してきました。
一方で、人々の文化的・心理的な分水嶺として圧倒的な知名度を誇るのが、岐阜県不破郡に位置する「関ヶ原境界線」です。1600年の天下分け目の戦い以前から、この地には古代三関の一つ「不破関(ふわのせき)」が置かれ、朝廷は東国の反乱を警戒して固く防備を敷きました。日本海側の福井県敦賀から、伊吹山地、鈴鹿山脈を経て伊勢湾へと至るこの狭小な隘路(あいろ)は、気候区分のみならず、言葉や味覚が遮断される天然のフィルターとなってきた経緯があります。
さらに現代の公的・企業インフラに目を向けると、西日本東日本分け方はさらに多様化します。国土交通省の地域区分では新潟・富山間が境目とされる一方、JRグループではJR東日本とJR東海・JR西日本の境界が複雑に入り組み、気象庁の予報区分では三重県が近畿ではなく東海(東日本)に括られます。このように、日本人は単一の境界ではなく、重層的な境界線の中で西と東を往来しています。