トルコの首都はなぜアンカラ?イスタンブールではない決定的理由と真相
トルコの首都移転を語る上で欠かせないのが、トルコ共和国の初代大統領であり「建国の父」と敬愛されるムスタファ・ケマル・アタテュルクの存在です。彼が下したイスタンブール放棄の英断は、単なる行政機関の引っ越しではなく、国家のあり方を根本から覆す思想的・体制的な革命でした。
当時のイスタンブールは、1453年にメフメト2世が征服して以来、約470年間にわたりオスマン帝国の首都として栄華を極めていました。しかし、第一次世界大戦の敗北に伴い、1918年にはイギリス、フランス、イタリアを中心とする連合国軍に占領され、ボスポラス海峡には敵国の軍艦が威風堂々と碇を下ろす屈辱的な状況に陥ります。スルタン(皇帝)をはじめとする宮廷首脳部は保身のために列強の傀儡と化し、トルコ国民に過酷な分割支配を強いるセーヴル条約を受け入れてしまったのです。
アタテュルクは自著であり歴史的演説記録でもある『ヌトゥク(演説草稿)』の中で、当時のイスタンブール政府を「国家の威厳を売り渡した無力な亡霊」と痛烈に批判しています。連合国の監視下に置かれ、いつ砲撃されてもおかしくない海辺の古都で独立運動を指揮することは不可能でした。さらにアタテュルクが目指したのは、宗教と政治が未分化だった古い帝国の再興ではなく、主権が国民にある西欧的な近代世俗国家の建設です。宮廷の因習、特権階級の既得権益、外国人勢力のスパイ網が張り巡らされたイスタンブールに留まることは、革命の頓挫を意味していました。古い遺制を物理的にも心理的にも断ち切るために、何もない大地に新たな理想郷を築く必要があったのです。